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太神楽由来の女性ジャグラー(トリクシー)
ジャグラー・トリクシージャグラー・トリクシージャグラー・トリクシージャグラー・トリクシー

Trixie(トリクシー)による「ヘッドロール」「くわえ撥」の貴重な映像を発見。
太神楽の曲芸の流れを汲む高度な技を見ることができる。

この映像では映画の中で演じられた、女性ジャグラー・トリクシーによるボールのヘッドロールやくわえ撥の演技を見ることができる。

ヘッドロール:
ヘッドロールは、ボールを額に乗せた状態から勢いよく頭をくるりと回し、ボールに横回転をかけ、回すという離れ業を見せている。

くわえ撥: 太神楽の曲芸師から影響を受けたというエンリコ・ラステリ、フランシス・ブラン、サージ・フラッシュのくわえ撥と比べると比較的太神楽のくわえ撥に近い印象の演技である。 体を反らせて撥の裏側でバランスを取る技はサージ・フラッシュの映像でもみられたが、この映像は非常に画質も良く、細かな動きもよく見ることができる。

6枚のお皿:
6枚のお皿を投げ分けている。非常にきれい。どうやら陶器ではなく、木製のプレートのような感じである。

このトリクシーというジャグラーについて調べてみると、 スピニングボールなどで有名なジャグラーMark Nizer氏が彼女について 記事を書いている(以下要約)。

それによると、トリクシーは、1920年生まれのハンガリー・ブタペストのサーカスファミリーの出身で、母はポールバランスの芸人であり、その伝統芸を受け継ぐ宿命にあったが、 いわゆる高所恐怖症だったらしく、ポールに上るのを怖がり、その芸を拒んでいたところ、あるジャグラーが彼女にくわえ撥を試させたという。すると彼女はくわえ 撥の上ですぐにボールをバランスしてみせたという。父はジャグラーではなかったが、その天性の才能を見抜き、彼女にその芸を練習させた。彼女の父親はエンリコ・ラステリ(Rastelli)の芸を見たことがあり、娘に多くのラステリの技を教えた。

彼女は14歳で欧州の一流のステージで演じるスターとなり、1936年にはヒットラーの前でも演じている。その後アメリカに移り、フレッド・アステアの映画へ出演したことで有名となり、1942-1957までステージで演じた(スケートリンク上でのパフォーマンスだったらしい)。生存する伝説のジャグラーの一人であるとMark Nizer氏は紹介している。

原文はこちら
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